
こんばんは。長澤です。
今日は午前中チャペル・コンサートなるものに行ってきました。無宗派の長澤は教会なんて全く無縁なのですが(苦笑)、知り合いの方に声をかけて頂き、ものは試しにと行ってみたのです。今までなら興味のないものには全然食いつきもしなかったのですが、歳を重ねてきて、とりあえず食わず嫌いはやめよう思うようになり(だいぶ!?成長です)お誘いに乗っかってみました。
年配の方を中心に、礼拝堂(?)はほぼ満員。約1時間半のオーボエとピアノの演奏だったのですが、音楽のこととかは疎い僕でも十分に楽しめる内容でした。信仰についてのお話しも交えてでしたが、これもわかりやすく素人の自分でもわかるような話で、宗教とかに対して、自分は今まで少し誤解していたかな…と思いましたね。
今まで僕にとって宗教って、どちらかといえば「依存」というイメージが強く、人生を他力に委ねる感じがして縁遠かったのですが、そうじゃないのかな…って。
この世に生まれたからには自分のやるべきことを一生懸命にやって、そのうえで神様に委ねるのだと。そこからは先は神様のされることなのだから、どんな結果になろうともその結果を愛しなさい…。
みたいなことなんですね。なるほどなぁって思いました。こういう世界もあるんだということがわかって、なんか新鮮でしたね。出勤前にスーツ姿でフラッと立ち寄った全く場違いな(汗)自分を、快く迎えてくれたスタッフの方々に感謝です。
さて、早いもので今日は区切りの110回目。Apヒストリーは「short break…」の回です。
今回のテーマは『ひとり』です。最近長澤が思ったことをお話ししようと思います。
最近「孤独死」なる言葉をよく聞きます。「孤立死」なんていうこともあるのかな。新聞等のメディアで特集が組まれたり、自治体がその実態の把握や対策に本格的に動き出したり、社会問題にもなっていますね。老齢期の方々だけでなく、我々くらいの世代にも「独身貴族」「おひとりさま」なんて言葉があるように、ひとりでいるということを何かと周囲は形容したがります。40歳にして独身の長澤も、友人などにはよくネタにされています(苦笑)
先日結婚している友達数人と飲みに行った際に、そんな話になり、「ひとりでいて淋しくないの?」と聞かれたことがあります(ていうかよく聞かれますね、そういえば…)。いつもあまり気にしないのですが、ちょっと考えてみました。ひとりで淋しいかぁ…一回も思ったことないなぁ(笑)
そうなんですよね、ないんですよ!? 大学卒業するくらいから一人暮らしなので、かれこれ16~17年そういう状態ですが、全くないんですよね。で、これはなんでだろう??と。はたと考えた時に自分の中で思ったのが、そういえば、この「ひとり」って、漢字に直すと「一人」と「独り」と二種類あるなぁと。みんなが自分に対して言っている「ひとり」と自分が思っている「ひとり」って、ひょっとして違うのかな…と。
これまで振りかえった時に、一人暮らしを始めてからも、友人には恵まれていたし、やりがいのある好きな仕事もさせてもらえて、それを共有していける先輩や同僚もいたり、まぁ年相応にお付き合いさせて頂いている女性もいたりいなかったで、たぶん僕は「一人」だけれど「独り」だと感じたことがないんだと思います。
これは人それぞれいろんな考え方があると思いますし、どれが正しいも間違っているもないんだろうと思います。これはあくまえ個人的な考えですが、僕は人は等しく皆「一人」なんだと思います。ある意味大人になること、歳を重ねることって、それを認めていくことなのかなとも思います。でも「独り」では生きていけないんですよね。う~ん、なんか禅問答みたいになっていますが(苦笑)このニュアンス、伝わりますかね?
結婚でも友人関係でもなんでもそうだと思いますが、「一人」でいたくないからその関係を求めるのは、どこか歪んでいる気がします。それは相手に依存してしまうだけなのではないでしょうか? 「独り」では生きていけないことをちゃんと認めた上で、その上に成り立っていく人間関係が一番心地良くて、長続きするんじゃないかなぁと思いますね。
僕は「一人」でも立っていられる人でありたいと思うし、男女問わず」「一人」でしっかり立っている人にはスゴく魅力を感じます。
これを読んでくれている高校生・大学生がいたら、ぜひ「一人」で立っていられる人になってほしいなと思います。でもそれは決して「独り」になれと言っているんじゃありません。そういう人には手を差し伸べてあげられる、そんな優しい人になってくれたら、少し世の中が良い方に向かうんじゃないかな…と思うのですが。。。
To be continued...
今日は午前中チャペル・コンサートなるものに行ってきました。無宗派の長澤は教会なんて全く無縁なのですが(苦笑)、知り合いの方に声をかけて頂き、ものは試しにと行ってみたのです。今までなら興味のないものには全然食いつきもしなかったのですが、歳を重ねてきて、とりあえず食わず嫌いはやめよう思うようになり(だいぶ!?成長です)お誘いに乗っかってみました。
年配の方を中心に、礼拝堂(?)はほぼ満員。約1時間半のオーボエとピアノの演奏だったのですが、音楽のこととかは疎い僕でも十分に楽しめる内容でした。信仰についてのお話しも交えてでしたが、これもわかりやすく素人の自分でもわかるような話で、宗教とかに対して、自分は今まで少し誤解していたかな…と思いましたね。
今まで僕にとって宗教って、どちらかといえば「依存」というイメージが強く、人生を他力に委ねる感じがして縁遠かったのですが、そうじゃないのかな…って。
この世に生まれたからには自分のやるべきことを一生懸命にやって、そのうえで神様に委ねるのだと。そこからは先は神様のされることなのだから、どんな結果になろうともその結果を愛しなさい…。
みたいなことなんですね。なるほどなぁって思いました。こういう世界もあるんだということがわかって、なんか新鮮でしたね。出勤前にスーツ姿でフラッと立ち寄った全く場違いな(汗)自分を、快く迎えてくれたスタッフの方々に感謝です。
さて、早いもので今日は区切りの110回目。Apヒストリーは「short break…」の回です。
今回のテーマは『ひとり』です。最近長澤が思ったことをお話ししようと思います。
最近「孤独死」なる言葉をよく聞きます。「孤立死」なんていうこともあるのかな。新聞等のメディアで特集が組まれたり、自治体がその実態の把握や対策に本格的に動き出したり、社会問題にもなっていますね。老齢期の方々だけでなく、我々くらいの世代にも「独身貴族」「おひとりさま」なんて言葉があるように、ひとりでいるということを何かと周囲は形容したがります。40歳にして独身の長澤も、友人などにはよくネタにされています(苦笑)
先日結婚している友達数人と飲みに行った際に、そんな話になり、「ひとりでいて淋しくないの?」と聞かれたことがあります(ていうかよく聞かれますね、そういえば…)。いつもあまり気にしないのですが、ちょっと考えてみました。ひとりで淋しいかぁ…一回も思ったことないなぁ(笑)
そうなんですよね、ないんですよ!? 大学卒業するくらいから一人暮らしなので、かれこれ16~17年そういう状態ですが、全くないんですよね。で、これはなんでだろう??と。はたと考えた時に自分の中で思ったのが、そういえば、この「ひとり」って、漢字に直すと「一人」と「独り」と二種類あるなぁと。みんなが自分に対して言っている「ひとり」と自分が思っている「ひとり」って、ひょっとして違うのかな…と。
これまで振りかえった時に、一人暮らしを始めてからも、友人には恵まれていたし、やりがいのある好きな仕事もさせてもらえて、それを共有していける先輩や同僚もいたり、まぁ年相応にお付き合いさせて頂いている女性もいたりいなかったで、たぶん僕は「一人」だけれど「独り」だと感じたことがないんだと思います。
これは人それぞれいろんな考え方があると思いますし、どれが正しいも間違っているもないんだろうと思います。これはあくまえ個人的な考えですが、僕は人は等しく皆「一人」なんだと思います。ある意味大人になること、歳を重ねることって、それを認めていくことなのかなとも思います。でも「独り」では生きていけないんですよね。う~ん、なんか禅問答みたいになっていますが(苦笑)このニュアンス、伝わりますかね?
結婚でも友人関係でもなんでもそうだと思いますが、「一人」でいたくないからその関係を求めるのは、どこか歪んでいる気がします。それは相手に依存してしまうだけなのではないでしょうか? 「独り」では生きていけないことをちゃんと認めた上で、その上に成り立っていく人間関係が一番心地良くて、長続きするんじゃないかなぁと思いますね。
僕は「一人」でも立っていられる人でありたいと思うし、男女問わず」「一人」でしっかり立っている人にはスゴく魅力を感じます。
これを読んでくれている高校生・大学生がいたら、ぜひ「一人」で立っていられる人になってほしいなと思います。でもそれは決して「独り」になれと言っているんじゃありません。そういう人には手を差し伸べてあげられる、そんな優しい人になってくれたら、少し世の中が良い方に向かうんじゃないかな…と思うのですが。。。
To be continued...
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